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郷土玩具の材料

更新日:2021年8月5日

この文章は私”ずぼんぼ”が2012年から書き綴っているブログ「びんごやさん」の2018年2月22日の記事を転載します。


郷土玩具というと、土人形と張子人形がまず思い浮かぶことと思います。

土人形は文字通り土でできたお人形、張子は紙でできたお人形です。でも郷土玩具はそれだけではなく、木、竹、藁などの植物でも作られています。いずれにせよ、日本に大昔からあった自然の材料でお金のかからないもので作られていますから、

郷土玩具はいわばエコな商品なんですね。


先ず土からお話ししましょう。最初に創られたおもちゃの素材は、多分土だったのでしょうね。木などは道具がいりますし、紙が現れるのはもっと時代が後になります。型がなくても手でひねるだけで形づくることができる土が最初と考えられます。我々の祖先は土器や埴輪、土偶などの土製品に秀でていたのですから。

熊本に伝わる木の葉猿のような原始的な面影を強く残した手捻りの土人形などが生まれたのです。これは、最古の郷土玩具といわれています。とても古い言い伝えがあります。養老7年(723年)の元旦、夢枕に立ったお爺さんのお告げで奈良の春日大明神を祀り、木の葉山の土で祭器を作り、余った土を投げ捨てたら猿の形のなって飛び去った。そして天狗のような巨人が現れ、木の葉山の土で猿を作れば幸せになれるとお告げをし、その後村人は幸福に暮らすようになったという伝説から生まれた郷土玩具なのです。

とても土俗的で、人間の根源の子孫繁栄を表しています。

ずうっとお猿さんばかり作っていますが、最近は十二支やお節句物も作られて備後屋でもとても人気があります。

伝統を守って、新しいものも作っていってくれたらいいと思うと中村さんは仰います。

郷土玩具で土人形が多いのはその歴史の長さからかもしれません。

やがて中国や中国から朝鮮を経て、焼き物の技術が伝えらてれきますと、一層人形作りの技術が向上します。


「土人形の祖」といわれるのが、京都・伏見で創られている伏見人形です。

平安時代から伏見稲荷の近くの深草山の土を使って、参詣者のために須恵器(古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器)を創りました。その後、秀吉の朝鮮出兵の時に連れ帰った腕の良い朝鮮の陶工を伏見に連れてきて、さらに伏見人形は発展していったといわれます。いわば拉致ですね。参拝土産にキツネの土人形や、おまじないの人形を作り始めました。そして江戸期にはおおいに発展していきました。

なにしろ、伏見稲荷は京都の都にあって、稲荷神社の元締めですので、参拝客も多かったのです。伏見人形は、〜のため、というお人形が多かったですね。

当時は50軒を越す人形屋があったそうです。

伏見人形を土産に求め持ち帰り、くだいて畑にまくと豊作になるという風習がありました。農耕の神家・伏見稲荷の信仰からきたおまじないです。

このため伏見人形は、伏見街道から東海道、伏見から船で大阪、そこから西国へ、日本海側は松前船によって佐渡、青森などの東北地方へと広まり、やがてこれを原型にして各地で土人形が作られるようになりました。

自分のところで作った方が儲かるわけですから、買ってきたお人形で型を作りパクって売ったわけです。版権のないおおらかな時代のお話しですね。


伏見人形は、「土人形の祖」と呼ばれるのはこうしたことからです。

少し前は2軒ありましたが、現在は1.2軒の人形屋しかありません。

1軒は七代続いている、丹嘉・大西時夫(重太郎)さん。寛延年間(1750年頃)創業の丹嘉、もう0.2軒は何かというと、今もやっているのではないかと思いますが、数年前に伏見に行った時、門前のお土産屋さんが新たに伏見人形を作り出していたからです。昔はどこでも作っていたから、うちも作っていいでしょうという考えからです。それで、0.2軒としました。そこは先ほど話した2軒の内の1軒・廃絶した菱屋の作品を売っていた店です。

10年くらい前、丹嘉の店先に3点大きな原型が飾ってあったのが盗まれた。マニアは私を含めて手癖が悪いですからね。(笑)それ以来、原型はお店の奥に引っ込んだそう。

丹嘉の頭首は大学出のインテリで話すのは大変ですが、行く価値のあるお店とのことです。(私もいつか行きたい!)


伏見人形師の祖「斑鳩孝右衛門」

桃山時代にいたと伝えられる人形師で、浪人から伏見で人形を作り、やがて豊臣秀頼に仕え大阪夏の陣で戦死したといわれる伝説の人物。

背中に幸右衛門のサインが彫られる人形が骨董屋さんから時折顔を出す。最近もネットオークションに出品された。

かつて日本全国には江戸期は150軒、戦前は約90軒の土人形産地がありました。現在は30軒ほどとだいぶ減っていますが。この多くが伏見人形を基に作られてきたのです。

土が取れれば、どこでも作れたんですね。

土人形の発祥

土人形は、焼き物や愛知県のような瓦産地(今は2軒、昔は10軒)から、青森県弘前や東京今戸などの日用雑器を焼く産地からなど、焼き物の傍ら土人形が作られるようになり、それが本業になっていきました。郷土玩具の土人形は陶器とちがい、

低い温度で焼かれます。

そのためとても壊れやすいのですが、その手軽さが郷土玩具のよさかもしれませんね。

改めて土人形の製法を紹介します。まず原型を作ります。それに粘土をかぶせ乾いたら半分に割り雌型をつくります。粘土をこね(これはステーキと同じで、少し寝かせた粘土がいいそうです。先日見た南米のテレビでアリクイを狩り、3日ほど後の取りに行く、それまではうまくないので他の動物に喰われない)、表と裏の型につめて抜き出し、前後をはり付け、乾燥させて焼きます。その後胡粉をかけ彩色して出来上がります。胡粉は貝殻をくだいたもの、動物の骨などからとったゼラチンでできた膠に混ぜて使います。


土人形の主な材料は粘土ですので、焼き物の産地が土人形の産地とも言えます。

日本三大土人形といわれているのは、伏見人形(深草焼きから)、仙台の堤人形(堤焼きから発祥。長崎の古賀人形(長崎焼きから)です。そのいわれは不明です。

福岡県の博多人形の産地では、その技法を活かし、砂州での土人形作りが発達しました。このように伏見の流れではない産地もあります。

変わり物の土人形として、和歌山の瓦猿、瓦牛。平戸の三番叟の猿などがあります。


次は木です。

昔はどの家庭にも木彫りのクマがありましたね。かくゆう私の家もテレビの下の人形ケースに北海道に行ったことがないのにありました。そしてこけしもです。


木彫りの熊は大正12年に尾張徳川19代の徳川親義がスイスで求めた木彫りを、北海道に入植した尾張藩の家臣を通して貧窮していたアイヌの農民に伝えたものです。

木のおもちゃの代表はこけしでしょうか。

滋賀県の永源寺(東近江市)という所が木地師のルーツといわれています。

平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子の惟喬親王という人物が初めてろくろを考案したという伝説があります。今から約1200年前のお話、ろくろを伝えられた家臣(小掠=こけし屋さん、鳥取・岩井温泉の挽き物屋さんにこの名が残っています)たちがお墨付きをもらって、ここから木を求めて各地で木地師になっていったという伝説です。

箱根や東北の温泉地でお椀やお盆などを作り湯治客のお土産として売っていました。

やがて我が子のために独楽などの玩具やこけしも創るようになり、それも湯治客の格好の土産品となっていき、木地玩具やこけしが名物になっていきました。

東北のこけし職人が作る木地達磨と呼ばれるおもちゃは箱根細工の技法から作られるようになったといいます。ロシアのマトリョウーシカも箱根細工がモデルですね。


温泉土産の木地玩具には、九州の日奈久温泉の桐を材料にした木地玩具、

鳥取県の岩井の十二支が有名です。

ちなみに、こけしや郷土玩具界では東北六県で昔から作られてきた(一部後に北海道や関東にも職人が移住する)こけしを伝統こけし、箱根や大山、群馬などで作られるお土産をこけしを、観光こけしなどと区別しています。

東京こけし友の会の例会は現在は神田で開かれていますが、私が高校生の頃は目白の学習院が会場でした。

たまに上京して寄せて頂くと、テレビ俳優の久松保夫さんが出席していて、入札品のほとんども落札していました。久松さんは、当時話題の探偵ドラマ「日真名氏飛び出す」の主役で、超有名人、名刺を頂く手も震えるほどでした。入札というのもその頃知った購入方法で、高校生の私には縁の遠い金額でした。

この他、東北の三大駒と呼ばれている、三春、木ノ下、八幡駒。

みな馬の産地から生まれた木馬です。

これらはどれもひなびた東北で作られてますが、毛色のかわった木製品は、兵庫県の神戸で作られている神戸人形です。これは明治になって、神戸港から日本に来る外国人の土産として作られるようになりました、めずらしく都会のからくり玩具なのです。何度かの廃絶、中絶をくり返しながら、昨年再び蘇っています。

こけしの材料は、みずきやいたやかえでなど白い木です。木馬などは、松、杉など安価で手に入りやすく、加工しやすい木ですね。日奈久温泉は高価な桐を材料にしていますが、桐下駄の端材を作っているからです。ほかにコシアブラ(ウコギ)をけずっただけの削り掛け笹野彫り、東北や宇都宮の花、経木の千木箱などがあります。

木のおがくずを糊で固めた煉り物などあります。

埼玉県鴻巣で創られる赤物は無形文化財、伊勢、かつては山形に名品がありました。

これらも木工製品のまさしく廃材を活用しています。郷土玩具界で初めて無形文化財に指定された鴻巣の赤物ですが、その名門がして時期に廃業し、他の作者で作られているのが残念です。(伊勢の赤物も2017年に廃業されました(>_<))

練り物は、虫に食われやすく、昔のものは仲がスカスカになってしまい、残っていない。

土人形に比べたら、作りにくいので、昭和50年くらいでも全国で20軒くらいしかなかったそうです。

東北のこけしに対して九州には木地車(雉子車)、木地馬という車の付いた玩具があります。これらは木こりが我が子に与えたおもちゃです。木こりの子供達がこれに乗って山の斜面を滑って遊んでいたのだそうです。

同じように家で帰りを待つ子どもに作って与えたおもちゃから郷土玩具になったのは高知のクジラ車や船があります。

絵馬も木製ですね。郷土玩具では、絵馬屋さんが作る小さな絵馬、小絵馬を収集の対象にしています。ほかに鷽、独楽などもあります。

近年話題に案っているのが、農民美術人形(農美と呼ばれている)。

戦前、画家の山本 鼎が提唱した木彫製品。農民の趣味の向上や副業の推進の為に指導し、各地の農村に広まった。特に木彫りの人形(木っ端人形とも呼ぶ)収集が最近ブームになり、高価になっている。かつては観光土産だった。

でも、これは郷土玩具とは呼ばないのです!



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