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郷土玩具の材料2

更新日:2021年8月5日

この文章は私”ずぼんぼ”が2012年から書き綴っているブログ「びんごやさん」の2018年3月3日の記事を転載します。


先日の続きです。

では竹から行きましょう。

竹の郷土玩具の代表は竹蛇。これも伊勢や大山などは郷土玩具、他の産地は郷土玩具になっていません。単に昔のおもちゃです。

竹の特徴のバネを活かした柴又の弾き猿などが有名です。弾き猿は東北から九州まで広く作られています。江戸時代にはどこでも作られていて、縁日で売られていました。

「災い」を弾き猿(はじき去る、取り去る)のおまじないです。

柴又の帝釈天前の園田仏具店では今も売られています。

ここでは木彫りの見猿や御幣猿や神様の形の猿も門前で売られています。

帝釈天では庭球のお守りも売っていて、錦織圭さんも来たということで、中村さんはテニスをやっているお孫さんを連れて買いに行って、大変喜ばれたとのことです。

愛知県小坂井の風車は俵の形をしていて豊穣を祈って1年に一度神社で売られていました。今は保存会の方達が作っています。

竹笛も昔はどこにでもありました。今は兵庫県の青葉の笛ひとつだけが郷土玩具として残っています。

竹を材料にしたおもちゃは割と少ないです。竹篭やセキレイなどが作られています。

次は藁です。藁は刈り取って、米を取った後のイネの茎です。代表的な郷土玩具は藁馬です。藁は米を収穫した後のもですから、豊穣(豊作)を意味します。藁馬に豊作の願いや子孫繁栄の願いごとのものが多いのは、こうしたことからかもしれません。藁は神聖なしめなわに使われる物ですから、災い除けの魔力もあるのでしょう。

長野県の桐原の藁馬はご覧のように立派な子孫繁栄のお守りです。

東京の麦藁蛇は夏の水あたり除けのおまじないです。


麦藁細工には名玩と呼ばれる大森(今年展示会)が代表。

他に修善寺、城之崎が産地です。

大森は東京の出入り口で、麦藁細工は恰好のお土産でした。藁は壊れやすくほとんど残っていませんが、江戸時代に大森貝塚を発見したモースが下駄とか看板とかの庶民的なものを持ち帰ったが、その中に藁細工もあり、綺麗なものはそれが残っています。

大田区では時々ワークショップなどをやり、藁細工を作ってみるが、江戸時代に名も無い職人たちが作ったものを真似をしようとしても、文明が進みお利口で器用なはずの現代人には上手くできないのが不思議です。


私が郷土玩具を集め初めのころ、藁馬は郷土玩具として郷土玩具作者や民芸店で求める物とばかり思っていました。

それがこちらに住むようになり、ある日埼玉県の川越近辺に釣りに行きましたら、七夕の笹と一緒に藁馬が川に捨てられていました。笹と一緒に川に流したのでしょうが、とても衝撃でした。郷土玩具ではなく、お守りとして藁馬がまだ生き残っているのを目撃したからです。前回お話ししたように、清水晴風や武井武雄の本で紹介された、千葉の七夕馬や大井町のお盆の藁馬(現在は中国製が多い)は郷土玩具に昇格されていますが、これらは単に行事のための添え物となって、これから残るのも難しくなっています。

その他の植物ではどんなものがあったでしょう。

植物で使えるものは、手当たり次第に使っていました。

関東(千葉や埼玉)では、河原などにしげる、カヤはマコモで馬を作る習慣があります。精霊馬です。

秋田県のイタヤ馬や、米粉で作った犬っこなどもあるが、カビてしまって残っていない。


このほかの植物では、鹿沼のきびガラの十二支が今は丸山早苗さんによって作られています。鹿沼は良質の箒の産地で有名で、箒草のガラ即ち端材を使い作ります。

すすきも使います。東京・雑司ヶ谷のみみずくは江戸時代からの郷土玩具です。10月半ばの御会式には境内に露店が出ます。昔は王子でも売られていました。すすきは秋に刈り取り花のついたまま寝かして翌年にみみずくにするそうです。

さて残るは紙です。

紙は中国の三大発明のひとつといわれています。紀元100年頃、中国の蔡倫(さいりん)という人が木屑や麻布のボロを梳いて紙を作ったと言われています。

日本には遣唐使などによって伝えられたのでしょうか。とても高価な物だったのでしょうね。使い終わった紙(故紙)も高価に取引されていたそうです。自由に使えるようなったのは江戸後期からでしょう。

実艦という中国の仏像を作る技法が張子を作るお手本になったのだと思われます。

その頃の浮世絵の寺子屋の風景などに、真っ黒に何度も書いた習字のお稽古の風景が出てききます。自由になっても高価な物だったのかもしれません。


東京の郷土玩具の代表が犬張子です。こどもをたくさん産む犬にあやかって安産のお守りになっています。小伝馬町の犬張子と呼ばれ、日本の犬張子の王様でしたが、最後の作者が昨年末(平成28年)亡くなってしまいました。谷中のいせ辰さんがその流れを継いでいます。皮肉なことに来年(平成30年)の年賀切手が同じ作者が作っていた笊被り犬です。悔しいことに会も知らない作者の浅草の助六の製品がモデルになりました。小伝馬町の作者が親友だったので、なにかやりきれません。


右は高松のほうこさん、お城の御殿に仕えた、奉公さんが”ほうこさん”になった。

その下の赤べこですが、右側が本物の赤べこ。左のは現在使われている違う作者が作っているもの。版権が無いので今はこれが赤べことして沢山売られているのが、どうも納得がいきませんが…

紙は土人形のように粉々にはなりませんが、壊れやすいですね。そのため、江戸期のものはほとんど残っていません。駒場の民藝館にある三春張り子のような例は稀有です。

壊れやすいで思いだしましたが、広島県に常石張り子があります。もともと三原土人形で創られましたが船で輸送するため壊れるので、その型を使って張子にかわった珍しい郷土玩具です。雌型をもちいますので、細かな表現になります。

近年は作者が宮司さんになってしまい、あまり作ってくれません。

さて張子の紙は、薄い和紙とちがって、厚い張子紙という紙を使います。

故紙を水に入れてくだき、また紙に再生するのですが、今は作り手が少なく、関東では私のだるま仲間が埼玉県の小川町ですいています。故紙に古新聞を混ぜてすきます。彼が2年ほど前心臓を患って休業した時はいろいろな張子屋さんから紙の問い合わせがあってこまりました。今は少し健康になって、少量の紙をすいていますが、後継者がいません。残念です。張子紙を漉くのはもう日本に数人しかいないのではないでしょうか。

張子の人形はこの故紙を木型に貼って乾かし、乾いたら木型から抜き出し、胡粉をかけ、彩色した物です。故紙は大福帳や襖の紙などの使いおわったものですから、それが出るところは武家屋敷か商家のある所、すなわち城下町が産地となります。

ここに紹介するのは張子玩具の大まかな種類です。

張子には、お面や達磨、首振りのお人形など色々な種類があり、楽しいおもちゃがいっぱいあります。コレクターは張子だけとか、土人形だけとか目的を決めている人も少なくありません。

土人形と張子は型があって、材料さえあればできるので、沢山産地が生まれたのではないでしょうか。昭和50年頃に比べると半分くらいに減ってしまいましたが。

張子だけではなく、紙を使った郷土玩具は色々あります。

合掌作りで有名な富山県の五箇山では地元で作る和紙をめがたに押し込んで固めて作る紙塑人形があります。そして名品は、浜松張子の作者が作った浮世人形。これは紙粘土のように紙を寄り固めて作る人形です。我が郷土の誉れです。

でも残念ながら、これも戦前になくなってしまいました。


張子ではありませんが、姉様なども紙を使ったおもちゃですね。

その他の異質な材料から

フグ提灯、 鮭の皮のアイヌの靴、 岩国・錦帯橋の石人形はとびげら、  江の島の貝細工(道中の絵なんかを貝を貼り付けた屏風など、途中から貝が取れなくなって外国から輸入したものが使われている)、 石の達磨(鹿児島の軽石、碁石に使われる那智のだるま、十勝川の黒曜石のだるま)、 漆の達磨、 イネの穂でできた男山八幡のかんざしは縁起物として色々と作られたが今はもうない。

糸鞠、 あけびの鳩車、 漆塗の大内うるし雛(藩の奨励のために作られた)、

宇都宮のふくべ細工、 

ガラスでできたポッペン(ビードロ)は神戸の神社で一年に一回売られる、 人形墨、 昆布だるま(兵庫県のお寺で授与される)

城崎の人形筆はお城の若様が習字が嫌いだったことから筆からお人形がパッと飛び出るように細工をした。

複合(材料の見合わせ)では 凧、風車 金魚提灯など。 昔は紙で作られていたら城下町だったんだなとか、石のだるまだったら山で石が取れた所でできたんだというように、材料で産物や風土がわかりました。 さらに紙のようにリサイクルという、まさにエコ材料です。土人形や張子の下塗りの白い胡粉も貝殻をくだいた物、胡粉と塗料をつなぐ膠は魚の骨から作られます。それが郷土玩具の基本ですが、周りに自然のなくなった今は、タダ同然だった物が輸入品になったりして高価になり、廃業に追い込まれる原因のひとつになっています。 郷土玩具の材料は、身近にあって、安く、もしくはタダ同然で手に入るものでした。 でも今は材料が手に入らず、外国から入ってきたものが多くて、逆に高くなってしまった。郷土玩具というからには郷土がくっつけられるものでなくてはならないのに、作っている人が郷土の人だというだけです。どのようにして残っていくか、どのようにして風土を伝えていくかがこれからの課題だと思います。


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